平日に走れた喜びとドジな男

いつもは伴走者を確保するのが困難な平日、仕事休みのこの日、Kさんが走らせてくださった。
ちょいと風邪気味だったけれど背に腹は代えられない。このチャンスをのがしてなるものかと走ることにした。
しかし家の玄関を出るとキャンタマが縮みあがるような寒さだ。
こちら地方名物の空っ風に吹き飛ばされそうになりながら河川敷の土手を走った。
走っても走っても汗が出てこない。
耳当てをして、手袋も二枚重ねにしたりした完全防備だ。
Kさんが「遠くに見える山々が雪をかぶって真っ白だよ」と情景を説明してくれる。
僕はと言えば顔の皮膚がこわばって「はふはふ」と声にならない返事をする。
キロ6分ペースで空っ風の中を進む。
小高い山の木々に囲まれた急な上り坂にさしかかると風がやんだ。
腕を振って蒸気機関車のように坂を駆け上がる。
「なんだ坂、こんな坂」、思いのほか足が軽い。
ここは、僕がまだ目が見えていた若い頃に練習に明け暮れた場所でもある。
そんな僕の中の聖地であるが去年の今頃は体調を崩していて息も絶え絶えであった。
小高い山は運動公園になっていて起伏に富んだ周回コースを走ることができる。
この日は、積雪でクロカンコースはクローズになってた。
上り坂、下り坂を利用して足に適度に乳酸が貯まってきた辺りで小高い山を折り返して復路に入る。
河川敷へ出るともろに向かい風を受ける。
伴走のKさんも鼻水を啜ってる。
僕らは空っ風を切り裂く冬の稲妻のごとくラストスパートだぁ!と最後の力を振り絞った。
累計18km。寒かったけど、中身の濃い練習ができた。
これまでに走れるように復調できたのも何人もの伴走者のおかげだ。
僕は平日に仕事休みのことが多い。もっと走れたらいいなと心から熱望している。
この話には、続きがある。
走り終わって履いていたシューズを脱いだときに絶句した!
なんと左右違ったシューズを履いていた。
簡単に説明すると、左足にはアシックス、右足にはナイキのシューズを履いて走っていたのである。
全然違和感なかったし気がつかなかった。
これって視覚障害者あるあるかなぁ。いゃぁ恥ずかしい限りである。

人柱

視覚障害者の駅ホーム転落事故は相変わらずなくならない。
先日、都内の某駅のホームから友人が転落した。
幸い居合わせた人々に救助されて一命は取り留めたけれど、重傷を負ってしまった。
僕などは白杖を携えて駅ホームを歩いているとこんなことがある。
駅ホームを歩くときには当然ホームの端の黄色い点字ブロックを白杖でたどり歩くことになる。
言わずと知れたその場所は、駅ホームで一番危険なエリアだ。
黄色い点字ブロックは、天国と地獄の境界線でもあり、視覚障害者の「命綱」でもある。
目的の乗車位置や階段を探して黄色い点字ブロックの上を歩くわけだが真っすぐに進むことは意外に難しいのだ。
黄色い点字ブロックの上に立っている人、置いてある荷物、柱などをよけて歩いているうちに方向がわからなくなってしまうことがある。
自分が今、どの位置に、どの場所にいるのかわからなくなるのだ。
キャスター付きの鞄、あの音も紛らわしいし、わずらわしい。
僕などは、杖や足を引っかけてしまったことが数回ある。
この前はキャスターの音につられて危うくホームから転落しそうになった。
キャスター付きの鞄を引くときには周囲に気を配ってほしいものだ。
最近になってようやくホームドアの設置や声がけの意識が高まってきたが転落事故は後を絶たない。
いったいどれくらいの仲間が犠牲になればこの世の中が変わるのだろう。
いつのよもそうだった。誰かが犠牲になってやっと、行政や警察は重い腰を上げる。
僕などは、いつ死んでもいいくらいの覚悟で通勤の交差点へ白杖を向けている。
それくらいの覚悟がないと音響信号機のない交差点は渡れないし、駅ホームは歩けない。
死ぬのはイヤだから真剣に懸命に白杖を握っている。

うっかりちゃっかり男

マラソン大会に遠征したときやランニング練習会に参加したときの話だ。
といっても記録云々とか感動じみた話ではない。
走るときは当然伴走者と一緒のわけだが着替えなど身の回りのことをするときは自分でやる。
目が見えないといってもできることは自分でやらなくちゃ。人間だもの。
たまにこんなことがある。
帰宅して荷物を開き、汗の染み込んだ衣類を洗濯かごに入れていたらジャージが二つ。
一つは確かに僕のものだ。
となるとまたやってしまった。
隣り合わせで着替えを一緒にしていた友人のジャージを持ち帰ってしまったことになる。
そのときにはしっかり洗濯をして持ち主に返すことができたが僕の手元に持ち主のわからない手袋やシャツがある。
ごったがえした陣地で平然と汚れ物をリックに詰めていく自分を想像すると気恥ずかしいものである。
僕に衣類を持ち替えられた友人たちは元気にしているだろうか。
高橋尚子さんが金メダルにかじりついた頃からの古い話であるが、そんなうっかりは未だに色んな場面で続いている。

キャッチボール

路地裏にパンー!パンー!と小気味のいい音が響く。
グローブでボールをつかみ取る音だ。
最近はめっきり見かけなくなったが昭和の時代には、親子でキャッチボールをする光景をそこかしこで見かけたものだ。
かくいう僕も他界した父とよくキャッチボールをやった。
だけど、そんな思い出が僕と息子にはない。
息子が物心ついた頃には僕の視力は0.04程度しかなかったので、世間の親子をうらやんだものだ。
だから僕たち親子は、蛍光色のカラーボールを至近距離で投げ合ったり、鈴が入ったビーチボールでキャッチボールみたいなことをやった。
幼少期の息子には取りやすいようにカラーボールを投げてやった。
僕の顔面にカラーボールが直撃して、少年期の息子に爆笑されたっけ。
いつしか息子が気を使って僕が取りやすいようにボールを投げていた。
息子にはグローブも買ってあげられなかったけど、そんな遊びを通した思い出と絆が僕達、親子にはある。
青年になった現在の息子は、網膜色素へんせい症という目の難病でほとんど視力がない。だけれどあの日、父と息子で描いた放物線は親子の目蓋から消えることはない。大きく逞しく、立派になったな、息子よ。数え切れない思い出をありがとう。

息子が婚約した日に父より

あなたの一言が命を救います

重機の轟音が消えた交差点から警備員の姿が消えた。
一年近く続いていた例の交差点の工事が完了し、後には地形が変わり交通量が増した新たな五叉路が残された。
行政に幾度となく懇願した音響信号は結局のところ装備されなかった。
横断歩道の渡り位置を示す点字ブロックが義務的に設置されたが誘導ブロックとつながっておらず非常にわかりにくい。
古い環境ならまだしも新装された交差点でこれでは納得がいかない。
近未来の駅周辺整備計画が聞いてあきれる。
付け加えると五叉路の一角にコンビニの駐車場に出入りする入り口が二個所あるから七叉路というわけだ。
車社会であるこの地では便利になったと感じている住民が大半だろう。
言いたくはないが県の役人に目隠しをして一度歩いてみろといってやりたい。
人々は言う。
職場で送り迎えしてもらったらどうですか?
同行支援のヘルパーを利用した方がいいと。
すれば問題は解決することはわかっているが問題は、障害者が一人で外出しにくい環境を作り出している
健常者優位の町づくりにある。
健常者と同じように通勤し、目的地まで一人で行きたいという主張があってもいいと僕は思う。
交差点などで白杖の人を見かけたら信号が変わったことを教えてもらえるとありがたいです。
あなたの一言が命を救います。
プロフィール

ちゃれんじぃ

Author:ちゃれんじぃ
毎日が色んなことへの挑戦だ!白杖への誤解や理解、日々のささいな出来事や感じていることを視覚障害者の視点からつぶやいています。アラヒフ世代・津軽三味線初心者・ジョギング・野球観賞・70年代フォーク&ロック・古きよき昭和をこよなく愛する全盲の伯父さんです。。

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