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伝えることの難しさ

最近、情報の伝えかたに戸惑っている。どんなことかというと、視覚障害者が日常で直面する困難や手助けしてほしいこととか、視覚障害者ランナーの伴走についてのことだったりする。
伝えかたによっては、日常の困難も「わがまま」といわれてしまう。手助けしてほしいといえば、「甘えている」と誤解される。
伴走はこうしてほしいと主張すれば、「偉そうに」と思われることがあるらしい。
僕は、先天性の弱視で自分のできる範囲で全盲の友人の手助けもしてきたし、全盲の友人にも助けられ色んなことを教えてもらった。
そうした人生経験を踏まえて、弱視だった頃から様々なことを発言してきた。
しかし、僕が全盲になった今、当時と同じことを発言してもなぜか反応が以前とは違うのだ。
このブログでつづってきたことは事実だし、視覚障害者の世界からみたらほんのちょっとの出来事にしかすぎない。
僕が日常で努力していることなんて微々たるものだ。僕や僕の家族なんかより苦境にある人々もいるだろう。
でも障害者が家の玄関を出て、町や駅で直面する困難や危険は共通することになる。
このブログでもお話したけれど、僕の女房は全盲で、息子は弱視だ。
生まれてくる子供は親を選べない。息子が健常者の親のところに、健常者として生まれたならばもっと沢山の幸せがあったに違いない。
そんな息子がいうんですよ。「俺はこの両親の息子でよかった」って。
どんな親だって障害があるないに関わらず可愛い子供が暮らしやすく住みよい将来を願うのは当然でしょう。
僕と同じ困難をしいられている仲間がいれば何とかしなくちゃと思うのは当然でしょうよ。
駅ホーム転落事故は、いったいどれくらいの人柱が立てば、視覚障害者が安心して電車に乗れるようになるんでしょうね。
「声がけをお願いします」とはいうけれど、それは一つの手だてで、僕らも駅や街を安全に歩くための歩行訓練をしたり、白杖を使う技術の見直しをしているんです。
これはあまり言いたくはないんだけれど、弱視だった僕は、ある朝、目を覚ますと目の前が真っ暗でした。
前の日まで見えていた家族の顔も自分の指の本数も窓からの光も一晩にして見えなくなってしまいました。
一時は精神を病んでしまったけれど、生まれつきの全盲の苦労や様々な障害を抱えた人たちの苦労や努力に、僕も負けていられないと己を奮い立たせました。
健常者の中には「お互い様」とはいうけれど、障碍者が自己主張をすると離れていく人たちもいます。
それはそれで僕の人間性に問題があるのかも知れませんが、何か違うような気がします。
「感謝」ですか?忘れたことはないですよ。少なくとも僕の周りの障害者は健常者の皆様の善意にサポートに感謝しています。
僕は、失明した今、つくづく思っています。「その人の立場になって物事を考える」ことの大切さを痛感している。
そして、人の痛みがわかる人でありたいです。今の日本が忘れかけている「思いやり」があふれる世の中になってほしいですね。
僕は、ちょっと疲れました。しばらくブログをお休みします。つたない記事に耳を傾けてくださり本当にありがとうございました。
視覚障害者の皆様、駅ホームや交差点で死んだらだめですよ。勘違いや油断が禁物だよ。
健常者の皆さま、白杖の人に声を掛けてあっさり断られても気を悪くしないで下さい。
その人がたまたま手助けを必要としていなかっただけのことで、貴方が声を掛けてくださったことで、「気をつけよう」という気持ちになり、見守っていてくれている人がいるんだなと、その白杖の人はほっとしているはずです。
同じ大空の下からみんなの幸せを心から祈っているからね。ちゃれんじぃ
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プロフィール

ちゃれんじぃ

Author:ちゃれんじぃ
毎日が色んなことへの挑戦だ!白杖への誤解や理解、日々のささいな出来事や感じていることを視覚障害者の視点からつぶやいています。アラヒフ世代・津軽三味線初心者・ジョギング・野球観賞・70年代フォーク&ロック・古きよき昭和をこよなく愛する全盲の伯父さんです。。

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