仕事納め

今日で仕事納めです。まずは一年間こうして健康で働けたことに感謝である。いつも渡る通勤途中の交差点の道路工事の爆音も止まった。
重機の音がなくなると、この町はこんなに静香だったのかと思うほどひっそりとしている。
あんなに煩わしく感じた重機の音だけど、工事をする人が悪いわけじゃない。
彼らも仕事納め。今頃は一年間のご苦労にほっとしていることだろう。
僕は、往来する車が確実に停止したことを確認し横断歩道を渡り終えると、重機の音が聞こえていた方に向かって、
ご苦労様。工事の人たちもよいお年をお迎えくださいとつぶやいた。
そして僕はちょっと疲れているかな。早々に年末休みに入った人を羨ましくも思いつつ
僕が働くことで喜んでくれる人もいるだろうから、自分を頑張れ、頑張れと励ました。
スポンサーサイト

乗車拒否!ちょっと疲れた師走

ちょいと更新が届こうってしまった。急がしぶっているわけでもなく、ネタがなかったわけでもないんだけど、何となく記事にするのには気が重かったわけ。
ちょいと何日か前にタクシーのことで嫌なことが立て続けにあったり、例の通勤途中の交差点のことで気が滅入ってしまった。この年になっても落ち込むこともあるんです。
まず最初に盲導犬を連れた友人と一緒に乗車しようとしたタクシーから乗車拒否を受けました。
話は校です。繁華街で客待ちのタクシーに僕と盲導犬連れの友人が乗り込もうとしたら、車内から「犬は勘弁してよ」と運転手さんの声。
僕が盲導犬であることを運転手さんに説明しようとしたらドアがパタリと閉じてタクシーは走り去りました。
通報しようにもタクシー会社の名前もわからないし、盲導犬への理解の厳しさを痛感した。
そんなことがあった数日後、僕の家の来客(全盲)が帰ることになりタクシーを呼びました。
その際に電話で客は視覚障害者であることは伝えたんだけど、迎えにきた運転手さん、白杖を見ても玄関先からタクシーに案内するわけでもなく自分はさっさと運転席に乗り込んでしまったんです。見かねた僕は友人をエンジンの音を頼りにタクシーの近くまで誘導したんだけど、運転手さんからは、「こちらですよ」の声もないんです。
車体をさわり開いているドアを探しました。「お願いします」と言っても返事もない!まれにみる無愛想で不親切な運転手に当たってしまったわけです。
今回は、会社もわかっているのでしっかり苦情を言ってやりましたけど。

最後は、朝の通勤で渡る例の交差点、もう限界です。工事の重機の音が鳴り響いて車の気配がまったくわかりません。
田舎ゆえに横断歩道を渡る僕に声を掛けてくれる通行人はめったにいない。
「工事が早く終わってくれないかな」ただただ僕は、それだけを願う。
木枯らしが心に冷たく突き刺さる師走である。

悲しいクリスマスプレゼント

忘れられないクリスマスがある。僕にまだ視力がちょっとあって長男が小学校低学年で、長女が保育園の年長さんだった頃の古い話だ。
その日は、子供達を連れてクリスマスのプレゼントを買いに都内に電車で出かけた。
そんな僕の家族に友人が同行することになった。友人は僕と同世代の全盲の男だ。
友人は自分の甥っ子にやはりプレゼントを買ってあげたいので一緒に連れていってほしいとのことだった。
友人は一人ではこうした買い物はできないので快く引き受けた。
そんなわけで女房は留守番だ。僕の視力では女房と友人の二人の全盲を手引きして、子供達の面倒は見られない。
そうしたことから女房も友人の頼みを優先して自分は同行しないことにした。
東京はいつきてもお祭りみたいに賑やかだ。僕は僕の肩につかまる友人をぶつけないように、子供達とはぐれないように必死である。
「お兄ちゃん、妹の手を離さないでしっかりついておいで」と、僕は子供達に声を掛けながら駅や道の人ごみを歩いた。
僕たちは一件のおもちゃ屋に入った。店内は人ごみでごった返している。長男が娘の世話をしながら玩具を物色してた。
僕はといえば、友人をガイドしながら友人に玩具をあれこれ説明して店内を移動した。
子供達がそれぞれほしい玩具を抱えて持ってきた。嬉しそうな満面の笑顔とキラキラと輝く兄妹の顔は今でもはっきり覚えている。
先に子供達の買い物を済ませた。子供達は買った包みを大事そうに抱えて他の玩具を見たりしておとな達の買い物が終わるのを待っていた。
友人の買い物を終えてそんな子供達のところへ戻った。ところが娘が買ったばかりの包みを持ってない!
娘はどうやら他の玩具に気を取られているうちに包みをどこかにおいてしまったらしかった。
後の祭りだった。店内を探しても店員に聞いても紛失物の届けはなかった。
それでもあきらめきれない半盲の僕は人ごみの店内を隅々まで探したけどなかった。
店の出口で足早に出て行く怪しげな親子を見た。
父親らしきそいつが娘が買った物と同じ大きさの包みを持ってた。
一緒にいたうちの子供達と同じ年くらいの兄妹の会話が耳に残っている。
「それ誰の?」、「何で帰るの?何にも買ってないよ」と、その子供らは男に不可思議なことを聞いていた。
僕が、「あの?ちょっと」と声を掛けるとその親子らしき三人は一瞬足を止めて、僕の顔を見たが人ごみに消えた。
我が子の待つところに戻った僕は、兄妹に初めてゲンコツをひとつづつくらわした。
長男にはしっかり妹を見ていなきゃだめでしょ?娘にはしっかり持っていなきゃだめでしょ?と親の身勝手な気持ちを拳に込めた。
こうしたことは子供達から目を鼻した僕にも責任がある。だからというわけでもないが娘には失ったものと同じ玩具を買ってあげた僕は、どうしようもない親バカである。
アニメの世界でセーラー服を着た美少女戦士達が活躍していた頃の古い話である。

ありがとうは感謝と願うような気持ち

障害者は「ありがとう」をよく口にする。僕のような全盲ともなると口癖のように「ありがとう」を言ってる。

ご飯の位置を教えてもらい。信号が青になったことを教えてもらい。落とした物を拾ってもらい。伴走してもらい。何か手を貸してもらうたびに「ありがとう」を口にする。
そんなに「ありがとう」を言わなくてもいいと健常者は言う。
「ありがとう」を言ってほしくて手を貸してるわけじゃないと気を悪くする健常者もいる。

僕たちが口にする「ありがとう」は、いつもお世話になるねとか、助かったよとか、また次もお願いねとか、感謝とお礼と願うような素直な気持ち。
僕たちはわかってる。貴方が「ありがとう」を言ってほしくて親切にしてくれたり、手を貸してくれたりすることは、感謝を求めるものじゃないってことを。
僕たちは普通に接してくれる親切な貴方と出会えて幸せです。これからも宜しくね

鶴の恩返しと大掃除

仕事柄土曜日はいつも仕事。めったに休むことのできない土曜日がこの日、休みになった。
もう久しく顔を出していないバンバンクラブの練習会にでも行ってみようかと、身支度に取りかかった。
すると背後から、「お父さん、換気扇と水回りのお掃除を頼んだわね」と鶴の鳴き声がした。
ここだけの話だけど僕の家には鶴がいるんです。ちょっと太ってはいますが働き者の鶴なんです。
時には優しく、時には凄く怖い鶴に、僕は逆らうことはできないんです。
そんなわけで、鶴の一声で、僕は我が家の大掃除をおおせつかってしまった。
僕は、文字通りの手探りで、換気扇と洗面台の掃除を済ませた。
休憩の合間、鶴は何をやっているのか気になったので、僕は恐る恐る二階へ上がる階段を足音を偲ばせて上ってみた。
「何さぼっているの!」鶴に見つかったら大変です。僕は、中からパタパタと物音がする部屋が気になって仕方なくなった。
僕は、その部屋の襖を鶴に気づかれないようにしずしずと開けてみた。
襖の間から中の様子を伺ってみると鶴はカーテンを外したりバタバタト羽を動かしていた。
僕はいつもよく働く鶴に申し訳なくなったので、襖を閉じるのも忘れて階段をそそくさと降りて真面目に風呂掃除をした。
一通りの掃除を済ませると僕はへとへとである。僕は、鶴に隠れて日当たりのいい縁側に体を横にした。
心地よさにうとうとしているとリビングから「おとうさーん」と、僕を呼ぶ鶴の鳴き声がした。
僕はちがう掃除をいいつけられるのかなと恐る恐るリビングの扉を開けた。
すると何やらいい匂いがして、「座って」と鶴に促されぼくは席に着いた。
「お疲れさま」と、鶴に温かな飲み物の入ったコップを手渡された。それを一口飲んでみると、それは僕の大好きなお酒だった。
テーブルの上には、けんちん汁やらお刺身やら赤飯など、ご馳走が並んでいた。
酔うほどにいい年の瀬である。
鶴に逃げられないように明日からまた頑張ろうと拳を固める僕だった。次回へ続く。

視覚障害者あるある 外食編

さくっと視覚障害者あるある。今回は食事編です。
・バイキングやドリンクバー、ビュッフェスタイルはちょっと苦手です。
・店内の照明が薄暗かったりするとテーブルに並ぶそれらが見えにくいし、トレイを席まで運ぶのはど緊張。
・トレイを抱えて歩く通路で、人や物にぶつかって席に戻ったらカップの中のコーヒーが半分になってた。
・全盲の人。席に座って連れが運んできてくれる食事をひたすら待つ。申し訳ない気持ちでいる。
・テーブルに置かれたトレイ。一時のところにサラダ、五時のところに味噌汁、七時のところにご飯、十一時のところに漬け物、真ん中に焼き魚が乗った皿があります。箸は手前だよ。
・↑同行してくれている健常者のそんな説明が嬉しく笑顔になる。
そんな気遣いが味噌汁のように温かい。
・食券の券売機に並ぶ沢山のボタンに困惑。文字は小さいし、視野に入らない。
・もうこれでいいや!卵スープのボタンを半ばやけくそぎみにしたった。
・食券を店員さんに渡したら、ハイーこれ!とゆで卵を一つ手渡されて意気消沈。
・ならばと入った回転寿司。あれー?板前さんがいないぞ!と思ったら注文はタッチパネルで困惑。
・タッチパネルに顔を近づけてメニューを見ていたら鼻がパネルにぶつかった。どうでもいいものを注文しそうになったった。
・お寿司を箸で挟むのはちょっと苦手です。指でつまんでどや顔。おしぼりの山ができた。
・皆で行った居酒屋。メニューを連れに読み上げてもらっていたらピッピッピと怪しい音。注文を聞くバイト君が入力していた。
・読み上げてもらったメニューは沢山あってわかりにくい。最初から、もう一度読んでと懇願したら連れに灰皿でどづかれそうになった。
・焼き鳥の串はほぐしません。ビールジョッキを抱えてどや顔。
・大勢の人が集まる忘年会。お酒も回り宴もたけなわ。気がつくと自分の周りには知り合いが誰もいなくて意気消沈。トイレにも行けずにおしっこちびりそうになった。
。誰かいませんかぁ!大きな声で叫んだら、何か?と、全盲の友人で、その人もぼっちになってた。
こんなことがあっても僕らは明るく生きている。

懐かしい音

山間の町で育った僕は毎朝、近所から聞こえる一番鶏の鳴き声で目を覚ました、コケッコッコー。
寝床の中でうとうとしていると何かいい香りがしてきて、台所からトントントン。朝飯を作る母ちゃんの包丁の音が聞こえてる。家の外からは鶏やら野鳥の鳴き声に混じって豆腐屋のラッパの音やら、納豆売りの声が聞こえ出す。
そうそう、ガチャンコン、ガチャンコン。牛乳配達のガラス瓶の音に、玄関の方からは、有線電話から流れるお知らせ放送も聞こえてた。
そんな昭和の朝の音はめっきり耳にしなくなった。
カチカチカチ!駅の改札口でリズミカルにハサミを動かす切符切りの駅員。
「弁当、弁当、べんと、べんとー」、ホームでは弁当売りの威勢の良い声。
駅構内を掃除する人のちりとりとほうきの音。ホームの売店で新聞を買い求める乗客の声。
駅長さんの笛の音。手動の発車ベルのけたたましい音。
昭和の駅には、そんな音がしたし、人の目もあった。
大工さんのトンカチの音に、正午を知らせるサイレンの音。カランコン、カランコン、路地裏から聞こえた下駄の音。
僕は、そんな昭和の町の音がふと恋しくなることがある。
そして、年を重ねて今年も迎えた「年の瀬」。餅つきの音に除夜の鐘の音までが薄れようとしている。

除夜の鐘と白杖の音

SNSに流れてくるニュースを見ていたら大晦日の夜に打ち鳴らされる「除夜の鐘」の音がうるさい!とお寺さんに苦情の電話があったんだと。
そりゃ昔とは住宅事情も違えば、取り巻く環境も人々の生活習慣も大きく変わっている。
僕はこのニュースを耳にしたとき、とうとう日本もここまできてしまったかと思ったよ。
それじゃ白杖を突くコツコツの音がうるさいと感じる人がいても不思議でないわけだわ。
白杖の音といえばマンションに暮らす全盲の友人も廊下を歩く白杖の音がうるさいと隣人に言われたっていってた。
僕の田舎じゃ、路地を歩く僕が突く白杖の音を聞きつけた馴染みの居酒屋の店主が店の引き戸をガラリと開けて、「旦那さん、寄ってかない?」なんて顔を出すんだぞ。のどかだろ。
しかしあれだな、百八つの煩悩を取り除く音すら騒音に聞こえてしまう世の中って、いったい。
次回は懐かしい昭和の音を書いてみたいと思う。

伴走者は凄かった 2

長年走っていると色んなことがある。ましてや一本のロープでする伴走ともなるといいことも悪いことも本当に色んなことにでくわすものだ。
視覚障害者マラソンは伴走者が必要不可欠だ。しかし時にこんな場面に出くわすこともある。
その休日の朝、僕達は二組の伴走ペアで待ち合わせた駅から隣町で行われる練習会の公園まで走っていくことになっていた。
ところが待ち合わせた時間直前に一人の伴走者がドタキャン。
三人は電車で移動することも考えたが普段あまり走る機会のない僕ともう一人の全盲の友人は距離を走りたいオーラ出しまくりである。
そんな様子に気づいた伴走者(女性)が言った。「あたいが二人まとめて面倒みよう。ダブル伴走するよ」。
とはいっても隣町の公園まではおおよそ15kmある。地方の田舎とはいっても歩道のない県道を走らなければならない。
最初は、伴走者と友人の男性がペアを組んだ。当時少し見えていた僕がその後ろにぴったりくっついて走った。前の人のシャツの色を見ながら走る感じ。
始めのうちはのどかな河川敷の遊歩道をのんびりと歩を奨めた。
伴走者が後ろを振り返って言った。「オッサン、しっかりついてきているかぃ!」、「車止めを右によけるよ!」。
僕、「あいよぉ!」そんな伴走者の気遣いと掛け合いで走っていた。
いよいよ難関に差し掛かる。歩道のない県道だ。
そうした狭い公道では、伴走ペアは横並びで走ると危険なので伴走者は、ロープの手を自身の真後ろに差し出さなければならない。
視覚障害者ランナーは、伴走者の真後ろにポジションを取り伴走者が差し出すロープに繋がり立てに並びで走ることになる。
そうした状況で、この日の僕たちはさらにもう一人!繋がって走ることになる。電車ごっこのごとくである。
立てに並びで走る二人の後ろに僕は、友人の真後ろにポジションを確保し友人のリックの紐につかまり走った。
三人で、いちにぃ!いちにぃ!声を出して、声を掛け合い走った。
伴走者は、往来の車に気を配り、田んぼに二人を落とさないように寿命の縮まる思いだったのに違いない。
幸いこの日は何事もなく目的の公園にたどり着くことができたが誉められたことでないと、この年になって思う。普段あまり走れない視覚障害者の心情を思い「走らせてやりたい」という、伴走者のそんな熱い気持ちが嬉しく、忘れることのできないエピソードである。
ランモードにはこんな凄い伴走者がいるというお話でした。
高橋尚子さんが金メダルに噛みついた頃の古い話である。

嗚呼!恐怖の交差点

このブログで度々話題にしている僕が通勤途中に渡る交差点には、点字ブロックもなければ音響信号機もないし、歩道もない、視覚障害者には恐怖の交差点だ。そこを横断するには車の流れの切れ目を伺いながら渡ることになる。
田舎とはいえ朝夕の車の往来は相当なものだ。
車社会のこの町にはさほど歩行者の気配はない。そうしたことから周囲の人が横断し始めたから、さて、渡ろうといったことも厳しい。そんな交差点で道路を延長する工事(T字路を十字路にする工事)が始まっている。それに併せて交差点付近の店舗や民家の改築や取り壊し作業が始まった。
ゴーゴー、カンカン、トンチンカン!重機の大きな音が車の往来の気配をかき消す。ダンプカーの出入りも増えた。空っ風がそうした音をかき回し、僕の感をにぶらせる。
早く工事が終わってくれないかな。終われば終わったで交通量が増えるだろうな。そうしたら音響信号機になるかなぁ。
僕はそんな思いで今日も白杖に命を託して交差点を渡る。

他界した父に伝えること

今日は、五年前に他界した父の法事。仕事人間だった父は厳しい人だった。父は僕が勤務していた老人ホームに入所まもなく施設内で転倒し頭を強打したことによる硬膜下出血で無くなった。享年81歳だった。
その頃ちょうど僕が失明して間もない頃だったので、僕の神経の負担はかなりのものだった。不慣れな全盲になっての生活。父の生前、男同士あまり寄り添うこともなかったから、勤務する施設で精一杯親孝行ができると思っていた矢先の出来事に、僕は憔悴した。
そんな複雑な気持ちと、角膜の炎症からくる目の激痛に耐えながら、僕はその施設で歯を食いしばり働いていたけどダメだった。
離職した僕に周囲の反応も様々だった。それまで僕が手を引いていた全盲の友人達が憔悴した僕を笑った。「失明したくらいでなんだよ。こっちは生まれつき目が見えないんだから」。
その言葉を当時、僕は素直に受け入れられなかった。そんなことは百も承知!世話になっておきながら心無い奴だと思った。
「仕事もしないでなんだよ。甘ったれるな」そう叱りつけてくれた有人もいた。弱視の頃と違ってあきらかに手が掛かるようになった僕から去っていった人もいた。
そんな周囲の反応と目の激痛、そして父の突然の他界。これからの生活の不安が一色にのしかかり僕は、うつ病を病んでしまった。
その間のことはよく覚えていないが一年で20キロやせてた。その間、僕を支えてくれたのが家族だった。僕の気持ちをせかすことなくいつもと同じようにそばにいてくれたっけ。
すこし気持ちが落ち着いた頃に僕は一つの決断をする。角膜の炎症がひどかった眼球を取ることにした。いわばこれからの生活を快適に送るための手術をすることにした。
そんなわけで僕の目は、両目とも義眼になったわけだけど、それまでの激痛から解放されたことで心も穏やかになっていった。外にも出られるようになった。歩行訓練の猛特訓をした。点字教室に通って点字を覚えた。ランニングも再開して、今に至る。
父の墓前に報告することがある。僕は、今、貴方があの日に亡くなった施設で働いています。貴方が生前撮影した富士山やお花の写真が施設のあちらこちらに飾られていました。
貴方が好きだった場所が僕の仕事場です。施設の職員さんも入居者さんも僕にとても親切にしてくれます。もう大丈夫です。母にも姉にも家族にも負担を掛けることはないです。だから安心してくれ、お父さん。
ちょいと情けなく気恥ずかしい話にお付き合いありがとうございました。

ささやかなこの人生「悔いはなし」

気がつけばもう十二月。今年も後、1ヶ月余りで終わってしまう。一年を振り返るのはまだちょいと早いけれど、大きな怪我もなく健康で一年を終われそうなのでよかったと思っている。今の職場で働けること、家族みんな無事でいられることは何よりである。
このブログでもお話してきたように僕の女房は中途失明の全盲だ。網膜色素変成症という目の難病で僕と結婚した頃にはほとんど視力はなかった。その頃、半盲だった僕は、わずかな視力だけど、この人の目になろうと思って結婚した。
結婚まもなく授かった長男の目にも網膜色素変性症があることが判明。長男は小学生の頃から遮光眼鏡という特殊なサングラスを掛けていたので、そのことが原因で不自由もあったし虐めにもあったが誠実で前向きな青年に成長してくれた。
五つ年下の長女は健常者だ。小さい頃から今でも家族の目になり足になり負担もあるはずだが素直で素敵な女性に成長してくれた。
一方、女房と家族の目になってやろうと思い込んだ僕はといえば網膜剥離の再発により四年前に失明した。
目になるどころか家族に負担を掛けることになり、口ほどにもないろくでもない父親だ。
網膜剥離は激しい運動を避けなければならない目の病気だ。しかし健康優先で始めたランニングはいつしか、地元の伴走活動の広告塔になり病気のことなど気にしないでがむしゃらに走り続けた。
タラレバだがもしランニングと出会っていなかったら僕の目の寿命はもっとあったようにも思うが後悔はしていない。失明したことは人生には痛手だが20年前に友人四人で結成した、伴走サークルにもメンバーが集うようになった。
伴走サークル結成当初は、視覚障害者と伴走者が市民マラソンの大会に参加するのも困難な次代でしたが今現在、伴走ビブスをつけたロープランナーが普通に大会を走っている様子は嬉しいし、伴走で出会った仲間は生涯の宝である。
この週末に、僕の影響でランニングを始めた女房と伴走サークルの仲間達と一本のタスキで繋ぐ5時間リレーマラソンを走ります。
こうして迎える年の瀬、今生きていることに家族に友人に健康に感謝したい。つたないブログ、ここまでお付き合いありがとうございました。
プロフィール

ちゃれんじぃ

Author:ちゃれんじぃ
毎日が色んなことへの挑戦だ!白杖への誤解や理解、日々のささいな出来事や感じていることを視覚障害者の視点からつぶやいています。アラヒフ世代・津軽三味線初心者・ジョギング・野球観賞・70年代フォーク&ロック・古きよき昭和をこよなく愛する全盲の伯父さんです。。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR