初舞台は嬉しくもあり

この日は民謡会の発表会があった。これまで何度か出場する機会はあったのだけれど、ちょっとした理由で出場を辞退してきたが三味線を教えて下さっている先生の進めや家族の後押しもあって勇気を出して出場した。初めての大きな会場での合奏と合唱。初めて和服を着た。会場で顔を合わせる門下生は知らない人ばかり。普段練習しているのとは違いホールは音の響きも勝手が違いあんなに練習したのに散々の結果だった。普段できていたことができなかったことが情けなかった。楽屋で意気消沈していた僕に何人かの門下生が気さくに声を掛けてくれた。女房と娘が父の初舞台を祝ってお花を持って駆けつけてくれた。伴走のお友達も応援に駆けつけてくれた。これには涙が出るほど嬉しかった。
五十を過ぎての習い事で覚えも悪く、若い頃のようにわいかず年を取ると言うことはこういうことなんだなと、しみじみ感じた。マラソンも思うように走れない。健康状態もそんなよくない。家族も周囲の人もみんな何らかの悩みを抱えて頑張っている。僕だけこのくらいのことで、また、欝になっている場合じゃないと真夜中の寝床で自分を励ましている。
でもいい経験ができた。この日が思い出だけで終わらないためにも前に進むことにする。家族に友人に、「応援にきてくれてありがとう」。そして、今宵もつたないブログにおつき合いしていただき有り難うございました。
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点字を覚えた喜びとよかったこと

最近は、文字を持たない視覚障害者が増えているそうだ。こういうと語弊があるがいわゆる「読み書き」ができないことだ。しかし今の世の中それができなくてもすんでしまうのだから便利になったものだ。書籍や役所なんかの広報誌などは音声環境の充実で耳から読めるようになった。このブログもそうだけど、インターネットやメールは、音声ソフトが搭載されているパソコンやiPadなんかで手軽にできる。かく言う僕は、スマホでこの記事を書いている。
実を言うと僕もつい最近まで文字を持たない視覚障害者でした。でも読み書きができないと不便なことが多くてねー、点字を覚えることにしたんだ。点字教室は楽しかったなぁ。五十過ぎたジジイが五十音から教えてもらうんだ。気分は小学一年生である。点字を覚えるには苦労したねー。点字を打つことはそれなりなんだけど、読めるようになるまでが大変だった。指先の感覚がにぶくてすらすら読めるというわけには、今でもいかない。
でもねー、点字本で最初に、「野生のエルザ」を読了したときは嬉しかったな。もう毎日毎晩、童心にかえってよんだものだ。そうしたことから読書は耳で聞くより時間をかけてでも点字本でするほうがずっと楽しいぞ。
それとね。マラソン大会で点字の記録証をもらったときは嬉しかったなぁ。自分で頑張ったことが自分自身で確認できるんだぜ。時間が経ってもあのときはこうだった、ああだったって引き出しからそのときの記録証を引っ張り出して確認できるんだ。素晴らしいことだと思わないかい。そうしたことから僕は、参加したマラソン大会の記録証とナンバーカードに自分で点字で、大会名と記録。伴走者の名前を書いておくことにしている。
伴走者との二人三脚を自分自身の手で刻めることは僕なりの誇りと伴走者への感謝である。そしてその記録証は生涯の宝である。今宵もつたないブログを読んで下さりありがとうございました。

トロッコ。読書の秋

点字本をなぞる指のその冷たさに季節を感じる今日この頃です。子供の頃に読んだ芥川竜之介(あくたがわ りゅうのすけ)の短編、トロッコを読了し、幼い頃に抱いた冒険心とか好奇心をなんだか懐かしく感じた。興味のあることに没頭して、帰宅の時間を忘れて夢中で遊んだこと。思いも寄らぬ展開に小さな胸が張り裂けそうになって、それを無我夢中、一心不乱にきりぬけた幼き頃の自分。そして、そのとき見たり感じたことを大人になった今でも時々ふと思い出すことのある僕です。遊び疲れて駆け込んだ夕暮れの玄関先のあの感覚、優しい母のことが鮮明に思い出された読書の秋でした。
実は、僕、まだそんなに点字力がないんです。五十を過ぎてから点字を習ったもので、指先の感覚もにぶいしさ、読解力もにぶいしで、こうした短編を読むことがちょうどいいんです。今は音声で書籍が聞けるけれど、僕って変わっているんですかねー?たどたどしい指先で点字で読むのが好きなんです。この気持ちわかるかなぁ?
点字を習って本当によかったと思ってます。次回は、点字のお話を書いてみようかな。いつもつたないブログを開いて下さりありがとうございます。

反射タスキと白杖の叔父さん

秋の深まりとともに朝夕の日も詰まってきましたねー、職場の玄関を出る頃には外はもう真っ暗です。そんな季節の変動を心配して友人が反射テープ付きの襷と腕章を僕にくれました。通勤途中の片側一車線の県道には補導がありません。そのためコンクリートの狭い溝板の上を歩くことになります。僕の脇を車がすれすれに走ります。道路との境はありませんから白杖で溝板と路面を叩いた音と形状の変化を確認しながら歩きます。靴は地面の感覚が足裏に伝わる履き慣れたシューズを履いてます。万が一、溝板を外れて車道にはみ出たら命を落としかねないので集中力は欠かせません。
自己に見舞われぬように神経を集中させてはいますが、これからの季節は帰宅時ともなると真っ暗ですから、反射テープ付きの襷などが必要だということで友人が僕を心配して届けてくれたわけです。友人には本当に感謝だよ。
後はもう運に任せるしかないです。僕も車を運転するドライバーさんにご迷惑をかけぬよう努力してはいるけれど、内心は怖いですよ。白杖を握る手には汗が滲みます。
ニュースなんかでも交通事故が後を絶たないでしょ。運転中のわき見運転だけはやめてくださいよ。僕はまだ死ぬわけにはいかないんだ。健常者の皆様も夜間歩行には気をつけて下さいませ。歩行者もドライバーも不幸にならぬよう本当に本当に安全対策には十分に配慮したいものです。

駅ホーム転落と白杖の大切さ

お前は視覚障害者のことばかり書いてとたまにいわれる。世の中にはもっと困難をしいられた方々がおられることはわかってる。でも視覚障害のことは自分たちがよくわかってる。困っていること、手助けして欲しいこと、理解して欲しいこと、当事者が声を上げなくてどうするよ。
さてと、また悲惨な視覚障害者の駅ホーム転落事故が起きてしまった。今度は、近鉄大阪線の駅での惨事だった。後を絶たないこうした事故をなくすにはどうしたものだろう。
今回の場合は、転落した男性は白杖を持っていなかったそうだ。家族と外出時に乗車した電車が特急待ちで駅に停車している最中に、一人でふらふらっと電車から降りてしまったらしい。
男性が降車した場所は、ホームの端で幅はわずか3mしかなかったという。男性は恐らくもっと広いホームだと勘違いして歩いてしまったに違いない。
亡くなられた男性は本当に気の毒ではあるが自分さえ行動をわきまえてさえいれば防げた事故だ。魔が差したとしか思えない。
僕は、普段から視覚障害者に厳しく白杖の携行は絶対であることと、危険な場所では一人で勝手に動き回るなと呼びかけをしている。
とくに旦那や奥さんが健常者だったりすると外出時に白杖は持たない視覚障害者はけっこう多い。僕はそうした習慣はあまり感心できない。何故なら周囲から見たら仲のいい夫婦か親子にしか見えない。そうしたことは危険だし誤解を招く。
今回もタラレバだが男性が白杖を持っていたら周囲の人の中に「目の不自由な人」と気づいた人がいて、「危ないですよ」と声を掛けて下さった人がいたかも知れない。
改めて白杖の携行を強く呼びかけたい!白杖は障害物を避けるだけではなく、周囲に目が不自由であることを示す役割があることを心得てほしい。白杖は視覚障害者の御守りだといっても過言でないと僕は自負している。
そしてこうした惨事が繰り返されないことと、事故で亡くなられた男性の御冥福をお祈りします。

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視覚障害者あるある・日常生活編

さくっと「視覚障害者あるある・日常生活編」をあげてみます。
・夕飯に、うどんを作ろうとして乾麺を茹でたらば間違えてパスタの乾麺を茹でてしまって意気消沈。
・それに気づいた女房が「どきなさい」みたいな勢いでちゃっちゃっちゃっとサラダスパゲティを手早く作って、どや顔。←全盲の女房にはかないません。
・長雨が続いて、そこかしこに掛けた部屋干しの洗濯物と格闘。頭をひっかけたり、顔に生乾きのパンツが当たったり、干し物を落として意気消沈。
・取り込んだ洗濯ものを仕分けしていて、靴下の色違い、tシャツはどれも似ていて家族の誰のかわかりにくい。
・取り込んだ洗濯物と脱ぎ捨ててあった洋服がごっちゃになってしまい、一つ一つ匂いを嗅いでみる。
・鏡の中の私の顔はよく見えないけれど、お化粧もヘアードライヤーも鏡の前です。
・愛用のサングラスを探して部屋の中を右往左往。やっと見付かったと思ったら、さっきまで座っていたテーブルの上に置いてあって意気消沈。
・そのサングラスを探すのにテーブルの上を手探りして、湯飲みのお茶をひっくり返して意気消沈。
・ラジオ体操をしていた女房の横を通り抜けようとしたら振り上げた手が私の顔面にヒット!活力のこもったグーパンチきくぅぅぅ!
おいちゃんは、こんなことがあっても今日も明るく生きている。

伴走者は凄かった

長年、走り続けていると本当に色んなことがある。ましてや伴走者と走る視覚障害者マラソンは、人と人がすることなので感動も喜びも二倍なら誤解やトラブルもある。今回は、レースでのちょいとしたエピソードを書いてみることにする。
もう20年前のことだ。かすみがうらマラソン当日、僕は10マイルに出場するため伴走者と現地(大会会場)で待ち合わせした。ところが約束の時間を過ぎても来る気配がない。僕は気をもんでスタート前の身支度を澄ませたが一行に現れない。その頃の僕は、弱視だったので仕方無く一人で走ることにした。
もう時間がない。僕は、大会ボランティアの人に誘導されスタート地点へ向かった。目前で号俸が聞こえて、ランナーの整列が動き出した。「最後尾からでもいいや」と、僕は目の前を流れていくランナーの波を見ていた。
その時だった!「ごめん、ごめん。電車に乗り遅れて云々」、伴走者の男性が駆け寄ってきた。そんな様子を横で見ていた大会ボランティァの男性が伴走者に向かってこう言い放った。
「荷物は預かるからアンタ、今すぐ走りなさい」。男性は、落ちていた紙袋の手提げ紐をつなぎ合わせて伴走ロープを作って、僕らに手渡してくれた。
僕らは、そのロープを手に手にコースに入った。伴走者は着替えなど住ませていないので私服にカジュアルシューズといった身支度である。伴走者と走りながら一連の話をした。遅れたことをとやかくいっても仕方ない、僕らはすぐに気持ちを切り替えて最後まで頑張ることにした。
沿道からトレーナーとGパン姿の伴走者に声援が飛ぶ。「何だその仮装は。頑張れよ」。伴走者は、そんな沿道の声援に「遅刻です」と返して、周囲の笑いを誘う場面が度々あった。
ランパンランシャツの僕と私服の伴走者。伴走者はいつもより走りにくそうにしていたがとくに問題はなく10マイルを71分で完走した。当時の僕はそれなりの快速で、伴走者はさらに快速の方だった。
ゴール後、汗でびしょぬれになった私服から現地のブースで購入したウエアに着替えていた伴走者の姿とはにかんだ笑顔を未だに忘れることができない。いい思い出である。

うれしくも淋しくもあるスポーツの秋

スポーツの秋ですねー。SNSでも伴走仲間のランニング大会やマラニックを走った頼りが報告されている。そうした仲間の活躍は自分のことのようにうれしいものだ。100Kmウルトラマラソンを完走した友もリタイヤした友も次のステップアップの起爆剤になるはずである。
ここでちょっと昔話を書いてみたい。ランニングと出会って約25年になる。当初はまだ視力もあり全国のランニング大会に果敢に参加したり週末は走友と野山を駆け回ったものだ。しかし、我が家は視覚障害者の夫婦で治療因を営んでいて、自分だけランニング道楽を続けて女房だけに負担を背負わせるわけにはいかないと決心し、一つの区切りをつける意味で、2003年に宮古島100Kmウルトラ遠足マラソンを伴走者と完走したのを最後にランニング大会の参加を控えるようにした。
とはいっても健康優先のランニングは続けて各地の伴走仲間と交流を続けて多くの走友ができたことは人生の財産だと思ってる。そうしたことを続けさせてくれた女房には感謝してる。
時は過ぎ世の中も不景気になり田舎での治療院経営も厳しくなった。そんなあおりもあって、僕は町内の老人ホームに勤務した。しかし人生は旨く行かないもので、僕は失明したことと職場の人間関係で、うつ病を患ってしまった。その辺の話ははしょるけれど、そんな自分を支えてくれた家族と友人には感謝している。
現在は、一度リタイアした老人ホームの勤務にも復帰した。しかし、ちょいとふと寂しくなることがある。それは、週末土曜日に行われている代々木公園の練習会に参加できなくなってしまったこと。友人達と予定が合わないことだ。
仕事に復帰するときに趣味を考慮した職探しも考えたが自宅から近い今の職場に決めた。そんなわけで走る機会も減り、それまでの友人たちとの交流も減り寂しさもあるが生活のためだしかたない。
今は、津軽三味線やタンデム自転車の趣味を始めたり、地元のランニングサークルの練習会に参加したりして細々とランニングを続けている。
10月30日の民謡会に向けて津軽三味線、猛特訓ちゅう!

交通事故と歩行訓練

事故ってしまった。このブログで何度も話題にした通勤途中の危険な交差点。詳しいことは諸事情で書けないけれど、赤信号で僕が横断してしまったらしい。かすり傷もないくらいの接触なんだけれど、車の人に迷惑をかけてしまった。僕は、青信号だと確信して渡り始めたわけで信号が果たしてどうだったのか定かではないが目撃者がそう証言されているのでしかたない。
そんなことがあったので、職場の人達が交差点の視察を兼ねて歩行訓練をしてくれた。そしたらその交差点の信号機は、時差式になっていて、左折の車や片側車線の車が不規則に往来するようになっているらしい。いわゆる矢印の出る信号機なんだと。
別段、安全に渡る解決策は思い浮かばなかったけれど、職場の人たちの親切な心意気に勇気と元気をいただきました。今日からまた気を引き締めて行きたいと思う。

地方伴走活動の苦悩

地方での伴走活動(視覚障害者マラソン・ウォーキングサークル活動)には限界集落ゆえの苦悩がある。都市圏などでは、活動拠点になるランニングのできる大きな施設や公園が整っていて、最寄りの駅も近く、出札を抜けると徒歩でサークルの集合場所に行けて、移動弱者でも比較的集まりやすいメリットがある。それに比べ車社会が主になっているこちらは、ランニングのできる施設や広い公園のほとんどが郊外に位置しており、最寄り駅と呼べるには程遠く、それこそバスは一日一度来るの世界である。したがって、そこへ行くには健常者で伴走者が出してくれる自家用車に乗り合わせることになる。
そうした移動手段で比較的集まりやすい活動拠点は、河川敷のサイクリングコースを走るのだがいつも暴走自転車に怯え走らなければならない。車止めの支柱は多数存在して煩わしさを感じるが走れるだけ幸せである。ここまで上げた苦悩を思うと障害者をサポートしてくれる伴走者には感謝である。
郊外にある障害者スポーツ施設は閑散としているそうだ。観○山ファミリーパークなども閑散としていて、お年寄りや障害者などの移動弱者の利用をほとんど見掛けないそうだ。
話は前後するが練習会終了後は、「お疲れ様」と銘打って、健常者も障害者も膝を交え、青空の下でビールで乾杯したい者だが、伴走者は車で来ているため禁酒であることは勿論。ランチをする店に異動するにも車に乗り合わせなければならない。そうしたことからコミニケーションのとりかたにも苦労している。いつか、そんな話を書いてみたいと思う。
ちゃれんじぃのTwitterアカウントは、@sirotuebanana です。
プロフィール

ちゃれんじぃ

Author:ちゃれんじぃ
毎日が色んなことへの挑戦だ!白杖への誤解や理解、日々のささいな出来事や感じていることを視覚障害者の視点からつぶやいています。アラヒフ世代・津軽三味線初心者・ジョギング・野球観賞・70年代フォーク&ロック・古きよき昭和をこよなく愛する全盲の伯父さんです。。

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