ながらスマホと白杖のオッサン

社会現象になっている。ポケモンGOブーム、凄いな。賛否を問われると僕は、どちらからといえば賛成です。ただこうしたブームが沸き起こるとマナーを護らない人が増殖する。そうした人達の心無い行動のために、きちんとマナーを守ってやっている一太刀だっているわけだし、一概にこのブームが悪いとは言い切れないよ。このブームが沸き起こってから確かに「ながらスマホ」をしている人が増えたけれど、「ながらスマホ」なんざ、今に始まったことじゃない。朝の通勤電車内、電車待ちのホーム、スマホ片手に何かしている人の多いこと。繁華街でスマホ片手にお店探しして右往左往している人の多いこと。テーマパーク内、銀行や病院の待合室、例を挙げればきりがない。僕が思うことは周囲への配慮を忘れている人が増えたということのほうがよほど違和感を感じてる。僕は、白杖を使う身だけれど、これまでに数回「ながらスマホ」をしてる人とぶつかったことがある。中には僕とぶつかった拍子にスマホを落として、スマホが傷ついたとかで「弁償してよ」なんて言いがかりをつけてきた人もいたよ。こっちは、点字ブロックの上を歩いていたときで、鼻血を流しているという状況でそりゃないよな。そんな僕が今している対策は、なるべく歩くペースをゆっくりにして、人とぶつかってしまったときの衝撃を最小限にするということだ。相手に怪我をさせても申し訳ないし、自分で怪我をしても嫌だしね。この「ながらスマホ現象」において、今、全盲の僕にできることはそれくらいしかない。「ながらスマホ」、悪いとはいいませんが、どうかマナーだけは守って行動してください。ポケモンGOであの世ゆきなんて、洒落になりませんから。
スポンサーサイト

ポケモンGO 親ばかな父親ゲットだぜ!

風呂上がりの火照った体を縁側で冷ましていると、嫁入り前の娘が散歩に誘ってきた。珍しいこともあるなと、白杖を小脇に抱えてついていくと、娘の手には、ちゃっかりスマホが握られてた。ありゃりゃ、やられた。そういうことだったのかと気づいたときには、もう日が落ちた夜の住宅街に二つの足音を響かせてた。娘がいうには、5キロ歩くと卵が生まれるんだとか言ってる。かたや父は、そんなことはどうでもよく、娘の用心棒にでもなった気分で、怪しい輩がちょっかいでも出そうものなら白杖を刀に見立てて、輩をバッタバッタと倒してやるぞい、とか妄想してるし。娘が幼い頃は、まだ目の見えた父が小さな手を引いて散歩したなとか親子二人して思い出話をした。そして今は、目の不自由な父が手を引かれ歩いてる。なんだかんだこ一時間くらい歩き回ったかな。娘は、ポケモンを数匹ゲットしたようだ。そんなわけで、親ばかな父もゲットされてしまった、そんな晩でありました。

続きを読む»

信号無視する白杖のオッサン

気がつくと世間は、海の日とかで三連休真っ只中。暦とは無関係な仕事についていると、すっかり時の流れに無頓着になってしまった。最初は、沢山休むことできていいなとか、出かけている友人達をうらやましく感じたものだ。連休中は、毎朝の職場までの通勤の道はひっそりとしている。いつもの音響のない交差点は、車の動きがないので、信号が青なのか赤なのか見当がつかない。いつもは、車がきちんと静止したことを確かめて横断しているが、交差点は無音の常態が長くなる。そのため耳をダンボにして、近づいている車がないことを確認して横断する。見切り横断である。幸いにもこれまで無事にきているけれど、自分でも危険な好意をしているなと自覚している。近づいてくる自転車の気配はまったくわからないし、最近は、音の静かなハイブリッド車が増えてきているから本当に危ないことしていると思う。遠回りをして、音響のある交差点を渡るにしても結局は、ここを渡らなければ職場へ行けないし、歩道のない県道を歩く距離が長くなってしまう。さて、どうしたものか、そんなことを今日も考えている。

続きを読む»

サングラスと白杖の叔父さん

「夜にサングラスかよ」、そんな声が友人達と囲む僕らのファミレスのテーブル席の脇の方で聞こえた。誰に向けた言葉なのかはわからないけれど、どこかの客の笑いを含んだそんな男の声に僕は、はっとした。僕らの席の中には、サングラスを掛けた全盲の友人と同じくサングラスを日常的に掛ける僕がいた。友人は、苦笑していたけれど、この年になるまで視覚障害者な僕には、聞き慣れた疑惑な言葉である。今の時代は、健常者でもファッション感覚で、夜でも普通にサングラスを掛ける人は沢山いる。おそらく疑惑は、「目が見えないのに、なぜに眼鏡?」そんな意味合いもあるのだろう。でもそんな疑惑を感じる人にしてみたら悪気はないのだろうし、不思議なことには違いない。
さて、視覚障害者にサングラスを掛けた人がいるかといえば様々なケースがある。僕の場合で説明をすると、こんな理由がある。僕は若い頃から角膜の炎症や目やにに苦しめられて、光の刺激から角膜を保護することだったり、目やにを隠すエチケットとして、サングラスを掛けるようになった。太陽光線や部屋の電気の光を直接受けると、激痛だし、涙が止まらないほどだ。目やには気をつけていても自然に出るもので、その苦悩は当事者でないとわからないと思う。
視覚障害者がサングラスを掛ける理由は様々だ。網膜色素変性症などの難病では、紫外線や様々な刺激で目の寿命を縮めてしまうといわれます。ですからそんな天敵から目を守るために、遮光眼鏡という特殊なサングラスを使用しなければなりません。目の病気で、角膜の色が変色していたり、眼振があったり、斜視など本当にその理由は様々です。勿論、健常者と同じように、埃よけとして、障害物の保護として、サングラスを掛けている人もいます。
そして、夜でも部屋の中でも日常的に、サングラスを掛けている人を見かけたら「そんな理由でサングラスを掛ける人」もいることをご理解いただけたら幸いです。

NAHAマラソンでの失敗。それまでの自分とのさよなら

視力が少しでもあるうちは、白杖を持つことが気恥ずかしいものだ。周囲の目を意識してしまったり、まだそんな自分を認めたくなかったりする。それはまた、ランニングでも同じで、視力があるうちは、健常者と同じように、一人で可能な限り走りたいものなんです。でもそれは、とても危険なことで、今回は、そんな僕の失敗を書いてみることにする。
話はかれこれ二十年前のエピソードだ。その頃の僕は、片目0.04の視力で、全国のランニング大会に単独走で出まくっていた。練習会では、全盲の伴走もした。文字通り、ランナー人生で一番輝いていた頃だ。
それは、2000年のNAHAマラソンを走った時のことだった。憧れの大会「ランニングの祭典 NAHAマラソン」には、三万人近いランナーが参加する。スタート直後は、朝のラッシュアワーのちょー人混みの中を賭けているようだ。途切れなく続く沿道からの声援に気分が高まる。
しかし、僕は、気分とは違い周囲のランナーとぶつからないように、転倒しないように、それだけで必至だった。こわばる体で神経をとぎすませ走る。暑さと疲労で頭がクラクラしだした。そうなると注意力も散漫になる。
糸満市の32Km地点の交差点に差し掛かったときのことだった。僕は、突然視界に飛び込んできた、ランナーを避けきれずに接触、転倒した。そのランナーはそのまま走っていってしまったが、僕は、立ち上がることができない。
体を打ち付けたことと、脱水症で、全身痙攣で身動きができなかった。周囲の人達に抱え上げられ路肩に寝かされた僕。近づいてくる救急車の音が聞こえると自然と涙があふれてきた。悔し涙というより、もう僕が独りで走ることは無理なんだな、そんな終止符にも似た思いだった。救急車に搬送されるときに、集まっていた、群衆の人に、「ここまでよく走ったさー」、「来年も頑張ろうね」、「よっ!挑戦者、格好いい」、そんな温かい声を掛けられ、僕は号泣してしまった。
そのとき感じたことは、相手のランナーを怪我させなくてよかったということと、沖縄の人達の温かさだ。そして、このことがあってから僕は、一人で走ることをやめた。それ以降は、伴走者と走る喜びや感動を二人して楽しんでいる。

再掲 可愛い親切と勇気

この日は、ランニング練習会が開かれる集合場所に向かうために最寄りの駅に白杖を向けていた。早朝の空気は爽やかで、頬に心地よい日差しの温もりを感じる。どうやら今日は快晴のようだ。目の見えんもんは、こんな感覚で季節やその日野お天気を感じるもんなんです。
僕が突く白杖のコツコツという音に交じって、背後から人の足音と、こそこそ話がついてくる。僕は、聞き耳をたてる。その主は、どうやら二人の女の子らしい。声の感じからすると、小学生か中学生といったところだ。「声かけようか」、「どうする」、「あんた、声かけなよ」とか、会話してるし、二人の子供は、どうやら僕に親切な声掛けをしてくれようとして、戸惑っているらしく、その様子が可愛らしく伝わってくる。
二人の子供達、こそこそ。僕、ドキドキ。子供達、「一緒に声を掛けようか」・・。しばし沈黙の後。
二人一緒に、大きな声で!せーの!お手伝いすることはありますかぁ。素直で可愛い親切にほっこりの朝の出来事でした。

再掲 落とした小銭と勇気

仕事帰り、まだ外はうだるような暑さだ。風は生暖かく、地べたから蒸し返すような暑さが伝わってくる。駅の自由通路に行き交う人々達は、口々に皆、「暑い、暑い」と言っているよな、そんな帰宅時のことだった。僕もそんな暑さに耐えかねて自販機で、冷えたドリンクを買うことにした。目の見えないもんがどうやって自販機の場所を探すかと言えば、歩きなれた道ならば、低い機械音をかすかに立て、いつも自販機は決まったその場所にある。僕は、汗ばむ手で、小銭を一枚、また一枚とコイン投入口に入れていった。そんな最中のこと僕は、小銭をばらまいてしまった。
地面に散らばった小銭を探す僕。手のひらを生暖かいそこに這わせると、焦る気持ちと周囲の目が気になり汗が吹きだしてくる。少し離れた方から子供らが、くすくす笑う声が聞こえてきた。「め○らだぜ」とか、言ってるし、あきらかに僕を蔑んでいる。腹が立ったけど、そこは我慢して僕は、落とした小銭を探した。
そんなときだった。「若い人、あんな人達ばかりじゃないから」、そういって、女学生らしき人が、落とした小銭を拾い集めて、僕の汚れた手のひらに、握手をするかのようにしっかりと、手渡してくれた。僕は、すぐにお礼を言ったけど、その人は無言のまま賭けていってしまった。
もうだいぶ前の出来事で、そのときの記憶はだんだん薄れるけれどあの小さなか細い手のひらの温もりと、あの人の勇気を優しさは忘れない。

幽霊より怖い交差点

僕が暮らすこの町は、地方の田舎町だ。緑豊かな住みやすいとこだ。朝夕の鉄道ラッシュもたいしたことない。都心に出向いたときなんか、その人込みに、お祭りでもやっているのかと勘違いしてしまうような僕は、田舎者だったりする。のどかな地域で暮らしていれば、白杖を使う僕の天敵はさほどないようだけれど、それがそうでもない。つい最近、朝の通勤途中に交差点の中に迷い込んでしまった。片側一車線通行の三叉路(さんさろ)に、小さな路地が交わっている交差点だ。音響信号も点字ブロックも整備されていないので、往来の車が行き交う音を確かめて、横断する。車の音がとぎれたぞ、「よし!渡ろう」と、そんな感じ。だから、たまには、赤信号で横断していることもあるだろう。。
その朝も車がきちんと停止したことを耳で、確認し、体を対岸の正面に向け、横断歩道を渡り始めた。道路って、ほら、真ん中が少し高くなっていて、端は、ちょいと低くなっているでしょ。その形状を白杖と足裏で確認して渡るんだ。勿論、ちょー慎重に。
そのときもそんな感じだったんだけれど、いつもより道路の幅が長いかもと感じたが最後、僕は、交差点の中で右往左往してた。こうなるととにかく冷静でいることに心がけるしかない。まず止まっている車の気配を捜し、そちら方向に進みながら道路の端の低い所へと白杖の先を滑らせる。そのときもそんな対処法でわたり切れたけれど、自分が、今いる場所がわからなくなってた。しばし、その場に立ちすくんで、必死のパッチでいつもの音を探す。路面を確認したりしてみたりもしたけれど、交差点のどの場所にたどり着いたのかわからない。いっそのこと白杖の先を上に向けて回すギャグでもやってやろうかと思ったけれど、人が来るのを待つことにした。
結局、通りかかった人に声を掛けて、手助けしてもらい事なきを得ることができた。実は、この交差点で危ない目に合ったのは、今回で二度目・・・三度目がないように気をつけたいものだ。

続きを読む»

つかむ腕・・・その前に一言の声がけを

どうして僕がこのようなブログを書いているかというと、それは、健常者の皆様と僕達視覚障害者が上手く向かい合いたいからです。中には弱者の立場で生意気だとか、世話になっているくせになどと感じている人もおられるかも知れませんがとても大事なことだと僕は、そう思います。例えばよかれと思い、手を貸して下さった、町野小さな親切だったり、ボランティアをしてあげたり、されたりする中で、ほんのささいな誤解でお互いが嫌な思いをしないためです。まず、健常者の中に眼鏡を掛けた人がいるように、目が見えないだけで、視覚障害者といっても普通の人だということを理解してほしいのです。
例えば貴方が、「歩きスマホ」をしているときに、いきなり誰かに腕をつかまれたとします。貴方は、びくっとして!驚きますよね。中には、「いきなりなにするんじゃ!ごりゃ」と、声を上げてしまうケースもあるでしょう。貴方の腕をつかんだ人は、貴方を見て、危ないなと思っただけで悪気はなかったのです。
それと一緒で、白い杖を突いた人の腕をいきなりつかめば同じように驚きます。せっかくの親切です。腕をつかむ前に一言、「お手伝いしましょうか」、そう声を掛けていただけると嬉しいです。
駅ホームから落ちそうだ。交差点に迷い込んでしまっているなどの非常時は、かまわず全力でその体を確保してください。今回は、一例を上げてみましたがお互い歩み寄る気持ちと、一言が大事だというお話しでした。

鏡の中の顔はどんな顔

職場での昼休みのこと。用を済ませて手洗いの鏡の前に立つ僕。隣では、同僚が鏡に向かい、めかしこんでいる。「最近、俺の顔も老けたなぁ」と、ぽつり。僕は、そんな一言にはっとした。そういえば、目が見えてた頃は、毎日必ず一度は、鏡の中の自分の顔を見ていた。作り笑顔をしたり表情をあれこれ変えてみたりしたっけ。ポマードべっちょりクールでバッチシ!矢沢永吉になりすましたりして(笑)未練がましい妄想はどうでもいいんだけれど、今、鏡の中の自分は、どんな顔をしているのか気になって、両手の指先で、頬やら目尻やら、口の周りに触れてみた。やっぱ僕も老け顔なんかな?目やにはついてないかな、口の脇に歯磨き粉がついてないかな。そんなことを気にしていると、隣の同僚が僕の肩をぽんと叩いて、「○○さん、男前やで」と、笑った。僕は、そんな気遣いに温かな気持ちになったけれど、やっぱ鏡の中の自分の顔が気になって仕方なかった。思えば最後に、自分の顔を見たのはいつだっただろう。僕の心の目に映る自分の顔は、あの頃のままだ。女房も子供たちも親兄弟、友人たちの顔もあの頃のままでいる。さぁ、今日もスマイル、スマイルと、日記に書いておこう・・・
プロフィール

ちゃれんじぃ

Author:ちゃれんじぃ
毎日が色んなことへの挑戦だ!白杖への誤解や理解、日々のささいな出来事や感じていることを視覚障害者の視点からつぶやいています。アラヒフ世代・津軽三味線初心者・ジョギング・野球観賞・70年代フォーク&ロック・古きよき昭和をこよなく愛する全盲の伯父さんです。。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR