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白杖のSOSに思うことと自主性

駅や町で白杖を頭上にかざしている人を見掛けたら、それは視覚障害者が困っている、または手助けを必要としている「白杖のSOSサイン」なるものがTwitterでものすごい勢いで拡散されている。
でもその動作は、白杖を使う当事者や視覚障害者に歩行を指導する歩行訓練士の間では寝耳に水の話なのです。
日本盲人会連合も認めてはいなかったものなのです。
簡単に説明すると某支援団体の発案が勝手に拡散されたものなんです。
勿論、悪気はなく視覚障害者が困った時のスムーズな手立てとして健常者がよかれと発案された物だとは理解している。
ですが白杖を使う当事者は、白杖を地面から浮かすことは凄く不安な物なのです。
では、この拡散を知らない視覚障害者はどうでしょう?
こうしたことを知らないわけですから、駅や町で困ってしまったときに白杖を頭上に上げたりしませんよね。
そこで、白杖を上げていない人は困っていないという解釈が生まれます。
こうした誤解を白杖を使う全盲は不安に感じているんです。
白杖を使う人の中には困ったときに、助けを求める声を上げる勇気がないというものも確かに居ます。
僕は、そうした気持ちもわかりますが勇気を出して、「何方か手を貸してください」 と声を上げて欲しいです。
目は見えなくても声は発せられるわけですから。
最近は、 同行支援のヘルパーを使ったり健常者を伴った外出をする視覚障害者が増えています。
それは、安全であったり理想的でいいとは思います。
それが原因かどうかはわかりませんが視覚障害者の自主性が薄れているように感じています。
甘えているというと過言ですが、そんな便利に慣れてしまっているから、いざというときに声を上げられないのです。
持って生まれた性格もあるでしょうけど。
この流れで何が言いたいかというと、視覚障害者であっても健常者に頼り切りにならず、出来ることは自分でやれ、やらせてあげなさいということを言いたいのです。
また、健常者主体で何かをするときであっても障碍者にもモチベーションを作って欲しいです。
僕が失明したときでも僕の師匠は、俺に伴走して欲しければ自力で東京まで来いと言いました。
僕は、そんな師匠がいたから自立できたし、感謝している。
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交叉点!自分の身は自分で守るしかない

健常者にとって何げないことだったり、どうってことないことが目が不自由な僕らにはハードルが高かったりする。
そのハードルを越えるためにみんなが努力をそれぞれしている。
警察がもっと危険な場所があるからという理由でかたくなに音響装置を付設してくれない交叉点だって、僕らにしてみれば地雷が埋まった荒野に足を踏み入れるようなものである。
警察にも行政にもそっぽを向かれ、クレーマーくらいに思われている僕は、自分の身は自分で守るしかないと覚悟を決めている。
職場に送迎をお願いしたり、誰かの手を借りれば交叉点を渡らずに済むが、それでは世の中は変わらない。
出金以外にそこを渡るときは誰が助けてくれるんですか?
僕以外の視覚障害者がそこを渡るときは誰が助けてくれるんですか?
そこはさほど視覚障害者の需要がないから!あっそうですか。
視覚障害者が引っ越しなどでこの町に移り住んだらさぞ暮らしにくいことでしょう。
時々新町へ遊びに来る仲間はこれほど弱者に冷たい町はないねといいます。
この町は、健常者都合の発展途上の地域なのです。
高崎線の高架計画、駅舎の建て替え計画、駅周辺改造計画、、それが実現したら確かに住民の暮らしは快適になる。
でもその裏でもう何年も何年も何年も今日も明日も不自由を余儀なきされている視覚障害者や車椅子を使う人、お年寄りがいることを肝に銘じて欲しい。
そんな計画の理由だけで点字ブロック、音響装置、多目的トイレを付設しないなど言語道断である。
つい最近、交叉点で車に引かれそうになったんです。
そのことを警察に相談したらどんなことを言われたと思いますか!
お巡りさんに、貴方は目が見えないから情況証拠に信憑性がないから被害届のような書類は作れないみたいなことを言われたのですよ。
もう自分の身は自分で守るしかないですよね。
そんなことがあって僕は、毎日の通勤時にはスマホの動画を起動させている。
もし僕が人柱になるようなことになったら僕を引いたドライバーに謝りたい。
仕事のため趣味のためどうしても交叉点を渡らなければならなかったのです。
十分注意はしていたけれど迷惑を掛けてごめんなさいと。
そして、音響装置のない交叉点で僕を引いてしまったドライバーの罪を軽くしてほしいです。

そんな覚悟で僕は、地雷が埋まる荒野という名の交叉点へ白杖を向ける。

トイレのハマコさん

外出先で戸惑ってしまうことにトイレの問題がある。
慣れた最寄り駅や施設内のトイレの使用は何の問題もないのだが。
このBLOGでも以前、用を済ませた後の排水レバーの位置がわからなくて戸惑ったエピソードを書いたような気がする。
ユニバーサルデザインが推進している昨今、排水レバーやペーパーの位置は統一できないものだろうか。
一人で新幹線のトイレを使用した時のことである。
トイレの場所については車両の連結部に設けられているのでそこまでは行くことが出来た。
個室に入って用を済ませたところまではオーケー。ここでも排水レバー探しに直面してしまったのだ。
ひとしきり個室の壁をなで回して見つけたボタンを押してみたが水は流れなかった。
おかしいなと何度か繰りかえしていると個室のドアがドンドンッとノックされ、「どうされましたか」と乗務員さんの声がした。
もうお気づきの通り非常ボタンを押してしまったのだ。
今にしてみればほろ苦い笑える体験談でもあるが。
体験談と言えばこんなエピソードもあった。
いつも使用している某駅トイレで用を済ませて個室から出ると警備員さんが立ってました(笑)
そうです、入り口を間違えて女子トイレを使用していたのでした。
それというのもトイレの入り口から先は、どこも室内の構造や大小の便器の位置、手洗いの場所は違いますよね。
目の見えない僕らは入り口から先は、視界にないわけですから当然、白杖探りになります。
異性の声でもしていなければ、そこが男子トイレか女性トイレかは気づきにくいものなんです。
だから入り口を間違えるとえらいことになります(笑)
最近は、都心の駅なんかでは「男性トイレです」などの音声ガイドが流れていてすげーって思いましたね。
最後に多目的トイレですが便利ですよね。
でも色んな人が様々な目的で使用するため利用中で俟たされることがけっこう多いんだよな。
いつだったか10分くらい俟たされて小便がもれそうになったんです。
もう限界が近づいてきたんでドンドンとノックしてやりました!
それでも中からの反応がなく漏れそうな股間を意識してモジモジさせてました。
そしたら個室の中からではなくて、僕の背後からこんな声がしました。
「このトイレ、故障中の張り紙がありますよ」って若い男性が教えてくれました。
その男性が親切な人で、男子トイレへ手引きしてくれましたが
そんなときに限って、ジャージの紐がコメ結びになってしまっていてなかなか紐がほどけなくて、焦った焦った(笑)
最後は、水鉄砲のごとく放尿しました(笑)
白杖の諸君、トイレ事情にはご用心!

目の見えない人、= あんまさんではない

小さな子供はとても素直で正直である。
屈託のない想像力には感心させられる。
でもそれは時として重苦しく感じることもある。
例えば全盲の僕が男性ガイドと歩いていると、それを目にした子供が「ホモじゃん」、などという。
また、白杖を突いた人を見掛けるなり、「あんまさんだ」、などと決めつけた発言をする。
何にでも興味を示す幼児に悪気はないことくらいわかっている。
いわゆる籾療治を職業にしている「あんま・マッサージ師・針灸師」は、立派な職業であるし、確かにあんまさんでもある。
だが白杖を突いた人がみんな、籾療治をしているわけではない。
いや中途失明者や弱視のほとんどの方は籾療治を職業にしては居ない。
普通に専業主婦もいるし、弁護士や会社員、教員など様々である。
そして、そうした人たちは、いくら子供が言ったことでもいい心持ちではないだろう。
だからといって声に出してまで、「あんまさんと違うわい!」などと子供相手に、声を荒げるちっちゃな人はいない。
子供は白杖を突いた人をあんまさんと決めつけるのか。
それは、恐らく祖父母や親からそう教えられたからであろう。
まったく今の時代、時代錯誤、いや差別としかいいようのない決めつけである。
子供に対しての生涯教育に関わることだ、もっと勉強しろと言ってやりたい。
目の見えない人、=あんまさんではない。
目が不自由であるから白い杖を携えているのである。
汚れた服を着ている、=ホームレスではない。
体を酷使して働いているから洋服が汚れているのである。
見かけでその日とのことや職業を決めつけて子供に伝える、教えることはやめていただきたい。
今の時代、視覚障害者にかかわらずハンディを抱えた人たちが様々な分野で活躍している。

見てましたよね

遠い記憶からの話です。
僕は、両手に重いスーパーのレジ袋を下げて買い物帰りの道を歩いていた。
その日もうだるような1日でした。
僕は、クーラーが効いた涼しすぎる店内から外へ出た。
僕は、あのむせ返るような蒸し暑さと夕焼けの眩しさに身を固くする。
駐車場の中を徐行する車の往来に気をつけながら国道沿いの歩道に出た。
少し歩くと歩道橋がある交叉点だ。
僕は、ずるをして歩道橋を使わずに横断歩道を渡る選択をした。
両手にレジ袋の重みを感じて信号が変わるのを待っていたときだ。
車のキューブレーキの音と何かがぶつかる大きな音を耳にした。
そんな惨劇が僕の目の前で起きたのである。
これって交通事故じゃん!もしかして僕は、目撃者?
でも弱視の僕は目視していないし、情況が飲み込めていない。
そうこうしているうちに野次馬が集まってきて車と自転車の自己であることがわかった。
次点者に乗っていた人は流血して寝そべったままのようだ。
人々は自転車が赤信号で飛び出したとか、いやもう信号は変わっていて車が無理に突っ込んだとか言い合っている。
大丈夫ですか!負傷者に話し掛ける人の声や、負傷者を動かすな!みたいな声もしていた。
警官や救急隊員が到着すると、この中に目撃者はいませんか?と現場検証が始まった。
僕は、名乗り出ようか迷ったが弱視ゆえに見ていないも同然である。
僕がその場から立ち去ろうとしたときお巡りさんと真っ青な顔の中年男性が僕の前を歩いて行った。
次点者に飛び出されて云々、運転手らしき男は言っていた。
結局、僕は、重い気持ちで現場を後にしたが、後日、次点者の方はお亡くなりになったことを知った。
それからしばらくは、弱視で真実に協力できなかった自分を責めることになった。
本当にこうしたことに協力できなかった自分のハンデが嫌になった。
果たしてどちらに非があったのだろうか?僕は、未だにわからない。
その横断歩道で信号待ちしていたある晩のこと、僕の耳元で「あんた見てましたよね」と低い声がした。
プロフィール

ちゃれんじぃ

Author:ちゃれんじぃ
毎日が色んなことへの挑戦だ!白杖への誤解や理解、日々のささいな出来事や感じていることを視覚障害者の視点からつぶやいています。アラヒフ世代・津軽三味線初心者・ジョギング・野球観賞・70年代フォーク&ロック・古きよき昭和をこよなく愛する全盲の伯父さんです。。

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