視覚障害者な私が日常で直面してよかったこと、あれこれ

さくっと視覚障害者な私が、日常で直面してよかったことあれこれ。
・一人でコンビニに入ったら若い男性が、ご案内しましょうかって声を掛けてくれたので目当ての物を伝えると店内を手引きしてくれた。
親切な店員さんだなとレジでお礼を言うと居合わせた買い物客だった。全力でありがとうを言った。
・百貨店の通路を通り抜けようとしていたら、どちらへ行かれますかって声を掛けてくれた若い男性がいた。出口を探していることを伝えると肘を貸してくれたんだけど、気さくな方であれこれ話をしていたらショップの店員さんだったことに恐縮。全力でありがとうを言った。

・バスを降車する時に、運転手さんがステップを二段降りると歩道の段差があるから足元に注意してと促してくれた。
・混雑するバスで手すりに掴まって立っていると、目の前の席に座っていた御婦人が、貴方は足腰は健康なんでしょって私に聞いてきたんで、すぐさま勿論ですと返事を返したんだけど、ストレートな人だなと思ったけど何故か嬉しかった。
・工事現場の重機の大きな音が轟く交差点で信号が変わったことも車が往来する気配も音もわからず困惑していると、突然小さな手に腕を捕まれた。大声で話をするとランドセルをしょった男の子で、手をつないで私と一緒に横断歩道を渡ってくれた。
・近所の八百屋の前にある飲料水の自動販売機には点字の表記がある。ある日、ドリンクを買おうとしていると、そこの店主に、文字が間違っていないか聞かれた。独自の善意で点字シートを貼ってくれていたことを知り感動した。
・行きつけの飲食店には以前から点字のメニューはあったけど、黒い台紙に白色の文字で弱視に見やすいメニューを作ってくださり感激。
・某歯医者さんで記入する問診票は、文字や記入欄の線が太字で弱視にも見やすいんだとか。
・サークルでいつも顔を合わせる人。会うと必ず先に私に挨拶してくれる。目が見えないとこちらからなかなか声を掛けられないので、、そんなささいなことが凄く嬉しい。
・広い道路の長い横断歩道を渡っていると突然、拡声器で、お巡りさんです。信号は青ですよ。そのまま真っすぐ、少し右、そうそうと、私を声で誘導してくれたパトカーのお巡りさんがいた。
・通勤の駅の下り階段で白杖を誰かに蹴られた拍子に、杖を落としてしまった。階段の下まで転がった杖を若いリーマンが私に届けてくれた。
・自転車に踏まれて白杖を折ってしまい途方に暮れていると、商店街の人達が集まってきて、添え木やガムテープを持ち寄って私の白杖を処置してくれた。全力でお礼を言った。
今日も町は、晴れたり曇ったり。こうした町の親切に感謝です。次回へ続く。
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伝えることの難しさ

最近、情報の伝えかたに戸惑っている。どんなことかというと、視覚障害者が日常で直面する困難や手助けしてほしいこととか、視覚障害者ランナーの伴走についてのことだったりする。
伝えかたによっては、日常の困難も「わがまま」といわれてしまう。手助けしてほしいといえば、「甘えている」と誤解される。
伴走はこうしてほしいと主張すれば、「偉そうに」と思われることがあるらしい。
僕は、先天性の弱視で自分のできる範囲で全盲の友人の手助けもしてきたし、全盲の友人にも助けられ色んなことを教えてもらった。
そうした人生経験を踏まえて、弱視だった頃から様々なことを発言してきた。
しかし、僕が全盲になった今、当時と同じことを発言してもなぜか反応が以前とは違うのだ。
このブログでつづってきたことは事実だし、視覚障害者の世界からみたらほんのちょっとの出来事にしかすぎない。
僕が日常で努力していることなんて微々たるものだ。僕や僕の家族なんかより苦境にある人々もいるだろう。
でも障害者が家の玄関を出て、町や駅で直面する困難や危険は共通することになる。
このブログでもお話したけれど、僕の女房は全盲で、息子は弱視だ。
生まれてくる子供は親を選べない。息子が健常者の親のところに、健常者として生まれたならばもっと沢山の幸せがあったに違いない。
そんな息子がいうんですよ。「俺はこの両親の息子でよかった」って。
どんな親だって障害があるないに関わらず可愛い子供が暮らしやすく住みよい将来を願うのは当然でしょう。
僕と同じ困難をしいられている仲間がいれば何とかしなくちゃと思うのは当然でしょうよ。
駅ホーム転落事故は、いったいどれくらいの人柱が立てば、視覚障害者が安心して電車に乗れるようになるんでしょうね。
「声がけをお願いします」とはいうけれど、それは一つの手だてで、僕らも駅や街を安全に歩くための歩行訓練をしたり、白杖を使う技術の見直しをしているんです。
これはあまり言いたくはないんだけれど、弱視だった僕は、ある朝、目を覚ますと目の前が真っ暗でした。
前の日まで見えていた家族の顔も自分の指の本数も窓からの光も一晩にして見えなくなってしまいました。
一時は精神を病んでしまったけれど、生まれつきの全盲の苦労や様々な障害を抱えた人たちの苦労や努力に、僕も負けていられないと己を奮い立たせました。
健常者の中には「お互い様」とはいうけれど、障碍者が自己主張をすると離れていく人たちもいます。
それはそれで僕の人間性に問題があるのかも知れませんが、何か違うような気がします。
「感謝」ですか?忘れたことはないですよ。少なくとも僕の周りの障害者は健常者の皆様の善意にサポートに感謝しています。
僕は、失明した今、つくづく思っています。「その人の立場になって物事を考える」ことの大切さを痛感している。
そして、人の痛みがわかる人でありたいです。今の日本が忘れかけている「思いやり」があふれる世の中になってほしいですね。
僕は、ちょっと疲れました。しばらくブログをお休みします。つたない記事に耳を傾けてくださり本当にありがとうございました。
視覚障害者の皆様、駅ホームや交差点で死んだらだめですよ。勘違いや油断が禁物だよ。
健常者の皆さま、白杖の人に声を掛けてあっさり断られても気を悪くしないで下さい。
その人がたまたま手助けを必要としていなかっただけのことで、貴方が声を掛けてくださったことで、「気をつけよう」という気持ちになり、見守っていてくれている人がいるんだなと、その白杖の人はほっとしているはずです。
同じ大空の下からみんなの幸せを心から祈っているからね。ちゃれんじぃ

役所に行ってきました

役所の建築課に点字ブロック設置と改善のお願いに行ってきました。数年ぶりに訪ねた窓口での応対は以前に比べ好印象でした。
物腰のやわらかな中年の女性職員さんが応対してくれた。
どんなお願いをしてきたかといえば、30年前と同じことを伝えました。
実は、僕の街の最寄り駅ロータリーに設置されている点字ブロックは劣化して、ブロックの凹凸がわかりずらいのです。
加えて歩道のタイルの色と点字ブロックの色が同色で弱視にはわかりずらいのだそうです。
まずは、そうしたことの不具合を伝えてから次ぎは、駅の南側ロータリーには点字ブロックがないことを伝えました。たった二つ、それだけのことを伝えたのです。
担当者からは、数年後に駅舎の建て替えの計画が決まっていることと駅周辺の整備事業が決まっている云々の説明がありました。
はいはい。説明を受けた僕もそのことはよーく存じております。計画が実行されれば不具合は改善されることは。
今回、そうしたことは口にはしませんでしたが何度となく聞いた回答と何度頭を下げたかわからないけど、近未来の充実を願い役所を後にしました。
さて、ここでは行政にとやかくいうつもりはないけれど、30年もの間、不自由を余儀なくされている目の不自由な仲間の思いと日々の努力を誰かに聞いてほしくてスマホを叩いています。
地面と同化した点字ブロックは健常者にも気付きにくいようで点字ブロックをふさぐように談笑をする人々、迎えの車を待つ人々、荷物や自転車を置く光景が当たり前のようにあります。
そうした群衆に何度となく頭を下げて道を空けてもらい、ときにはぶつかって舌打ちをされ怒鳴られて、悪い子としていないのに謝って。
柱にぶつかっていくつもサングラスを割って、おでこにタンコブを作って、跨線橋の下に迷い込んで階段の傾斜に頭をぶつけて流血!大怪我をした仲間もいる。
点字ブロックのないところ、わかりにくい場所では、曲がり角から角までの自分の歩数を覚えていて、歩数を数え歩くのです。
僕の言っていることはわがままなんですか?それとも不幸自慢にしか聞こえないですか?最近、自分でもよくわからなくなります。
この町の環境にある程度馴れている僕らはいいですよ。これからこの町に移り住む視覚障害者、たまに駅を利用する白杖の人が戸惑わないような環境をひたすら待ち望んでいるだけなのです。しかし、今、こうして待っている時間はとてつも長く感じますし、これまでの行政とのやりとりを振り返ると切ないです。
つい先日、ホームドアの接地が将来的に決まっていたJR蕨駅で視覚障害者がホームから転落する痛ましい自己がまたも起きてしまいました。
蕨市はこの自己をうけてJRにホームドア設置の前倒しを要求したそうです。いつもそうですね、誰かが犠牲になってからやっと周囲が動き出すんですよ。
当事者が声を上げることが僕は大切だと自負していますが、その主張が単なるわがままに思われることが一番辛いです。
僕だけではないです。声を上げる上げないに関わらず障害者はみんな声にならない努力をしているんです。一人で生きているんじゃないってこともわかっているから誰かに何とかしてほしいし、助けてほしいから声を上げるんです。
最後に、環境が整わない公共の場所では、周囲の人々からの見守りと声がけが一番助かります。
町や駅、交差点で不安そうにしている、危険だなと感じた白杖の人を見かけたら声がけをお願いします。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
周囲の人々からの声がけ、見守りに感謝を伝えこの記事を終わります。

さよなら 無人駅とカール叔父さん

野鳥のさえずりを誘導ベルの音と勘違いしてしまうような田舎の無人駅に降り立った僕の耳に、線路向こうから突然、オッサンの大きな声が飛び込んできた。
出口はそっちじゃないよ。もっと左。行き過ぎ。そこそこ。と、誰もいないホームの僕をちょいと離れたところから声で誘導してくれたオッサンの話の続きです。
オッサンは、その次の日も、またその次の日も僕が電車を降りると線路向こうから大きな声で誘導してくれた。
そんな光景が何日か続いて、ある日からオッサンの声がしなくなった。
その頃になると僕も白杖を頼りに出札口を抜けられるようになってた。
その朝、木造の小さな駅舎の外に出ると誰かに肩をぽんと叩かれた。
「だいぶ上手になったじゃないか」、オッサンだった。
僕らはどちらからでもなく握手をしてた。オッサンの手はごつくて、堅くて、グローブのようだった。
聞けばオッサンは、線路向こうの畑でブロッコリーなどの野菜を作っている人だった。
その日から僕らは電車待ちの時間にホームのベンチで話しをしたり、線路越しに挨拶をした。
僕は目が見えないのでいつもオッサンから気さくに声を掛けてくれたのは言うまでもないけれど。
僕が前の職場を辞める日の夕方もオッサンは駅にきてくれた。
いつも麦わら帽子をかぶってたオッサン。首にタオルを巻いてたオッサン。カール叔父さんみたいに陽気なオッサン。
僕は、ブロッコリーを食べるとオッサンのことを思い出す。このブロッコリーは、オッサンが作ったものかもって思う。
おわり

無人駅とカール叔父さん 2

以前に勤務していた職場がある無人駅のホームに、最初に降り立った僕は固まってしまった。
降車したディーゼルカーのエンジンの音のその大きさで情景や人の気配がまったくわからないのだった。
足元にあるはずの点字ブロックがない。出札口の方向もわからないし、僕は電車をやりすごしてから行動を考えることにした。
一両編成のディーゼルカーが気動車どくとくの大きなエンジンの音を轟かせ動き出した。
その音が遠く消えていくのを僕は、呆然と見送った。後には脂気を含んだ臭いが残った。
さて、どうしよう。僕は、大きく息を一度した。「何方かいませんか」、不安な気持ちを声にしてみたけど、周囲からは返事はなかった。
誰が決めたんだか、白杖のSOSサインなんざ、こんな田舎では通用するわけもなく、僕は意気消沈しかけた。
ただお地蔵様みたく突っ立っていてもしょうがない。僕は行動を起こすことにした。
電車は一時間に一本来るか来ないか、ホームから落ちたところで死ぬことはないだろう。僕の冒険心に火がついた。
ぴよぴよ、ぴよぴよ♪ やった!誘導ベルの音だ。助かったぞ。
僕は、白杖をその誘導ベルの音の方向に向けた。そして一歩一歩、摺り足で動いてみた。
「そっちじゃないよ」、突然線路の向こう側から大きな声がした。田舎なまりのある男の声だ。
男は続けた。「回れ右。そのまま前に進む」。
何だこのオッサンはと僕は瞬時に感じたのでこう聞き返した。
「出口はそっちなんですか?」、僕はオッサンに同じような声の大きさで返した。
「うんだ。いいから真っすぐ前へ進め」、オッサンが指示してきた。
僕は、誘導ベルの音が気掛かりだったけど、ここはオッサンに従うことにした。
白杖でホームのへりをなぞりながら僕は、オッサンに言われた方向へおっかなびっくり歩を進めた。
「よし、そこだ。左向いて。そのまま真っすぐ。行き過ぎ。そこそこ」、みたいな感じにオッサンの声の誘導で僕は、無事に無人の出札口にたどり着くことができたのであった。
僕は、オッサンに、「ありがとう」と大きな声でお礼を言った。
「おー、気をつけていけやー」と、オッサンが僕の声に負けない大きな声で返してきた。
次回へ続く。

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プロフィール

ちゃれんじぃ

Author:ちゃれんじぃ
毎日が色んなことへの挑戦だ!白杖への誤解や理解、日々のささいな出来事や感じていることを視覚障害者の視点からつぶやいています。アラヒフ世代・津軽三味線初心者・ジョギング・野球観賞・70年代フォーク&ロック・古きよき昭和をこよなく愛する全盲の伯父さんです。。

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